新川上分(下久下村)
  吉岡お手舟んち
吉岡本家は江戸時代、忍藩の米を運ぶ回船問屋でした。定紋を掲げた帆掛け舟で江戸の幕府の米倉まで運びました。ご用米を運ぶ時期には、下分の河岸場には領主の家紋を張り出した50石舟60石舟がずらりと並び、他を圧していました。舟運が廃れてからは、吉岡家も大養蚕家になりました。