新川上分(下久下村)
岩崎質屋んち
江戸の頃は荒井家とともに筏問屋を営み、代々久右エ門を名乗る旧家でした。所有地だけでも3町歩、黒塀に囲まれた屋敷は600坪もあったという。舟運が廃れてからは質屋を営む傍ら養蚕農家としても活躍しました。旧埼玉銀行・長島恭介氏の祖母もここの出身という。明治17年には村民から選ばれて本村の総代人に。子孫は今なお、この地を大切に守り、農業を続けておられる。