ずーとずーと昔、平家と源氏が天下を取る戦いをしていた頃のお話です。この北武蔵・久下の庄はだだっ広い、平野の中にありました。荒川はもっと南の方をいくつもの小さな川になって流れていました。今のような堤防もなく、人々はここで畑を耕し、のんびりと暮らしておりました。このあたりの領主は久下のお殿様で、熊谷の庄のお殿様とは古くからの親戚の間柄でした。つい最近、久下の館に、ヨチヨチ歩きのかわいい男の子が母に連れられてもどってきました。名前は弓矢丸、二才のまるまるとした、元気な男の子でした。母さまは久下のお殿様の姉君で、父は熊退治で有名な平直貞、熊谷館の主としてこれからという時、病いに倒れ18才という若さで亡くなりました。母は弓矢丸を実家で育てるためにもどってきたのでした。
幼くして父を亡くした弓矢丸でしたが、久下の館で何不自由なく、のびのびと育ちました。昼間は他の子供達と野をかけめぐり、棒を振り回し、いっぱいいたずらをしながら大きく成長していきました。戦国に生きる武将として体を鍛え、乗馬も得意でした。勇気と負けん気は父親譲り、情け深いところは母親ゆずりでした。とくに動物が大好きで、野山で狐やタヌキに出会っても驚かせないようにしたり、ケガをした鳥は館に連れ帰り手当てしてやりました。ただ、気が短く、誰とでもすぐにけんかをするのが欠点でした。
やがて弓矢丸は成長し熊谷館にもどり、元服。熊谷次郎直実と名乗りました。叔父の久下直光も豪胆な武蔵武士でともに鎌倉幕府に仕えますが、熊谷・久下の領地争いなど二人は何かと争いが絶えませんでした。。直実はやがて息子と同じ年の平敦盛を討ち、その菩提を弔うため僧となりました。久下氏はその後、丹波の国(今の兵庫県)に所替えになり、幼い頃過ごした久下の屋敷は、取り壊され思い出とともに野に埋もれていきました。人々はここを「古城」と呼び、今に伝えています。
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