※上の画像をクリックすると、大きい画像が表示されます。

「幻」という言葉にはふしぎな響きがあります。はかなさ、幻影・夢につながる世界です。広辞苑には「実在 しないのにその姿が実在するように見えるもの」とありますが・・・。
さて新川はどうして幻なのでしょうか?
  


※上の画像をクリックすると、大きい画像が表示されます。


※上の画像をクリックすると、大きい
画像が表示されます。
電柱が空に突き出し、誰も住まないのに郵便番
号や地番もあります。
新川の郵便番号は360-0027です。

   

ここを訪れる人に語りかける川の精の話にちょっと耳を傾けてください。

   300年前、ここ・江川河岸にはたくさんの舟があったんだよ・・・。50石や60石の帆掛け舟が河岸に到着するのを待ちかねて、荷物の積み下ろし、荷車がひしめき。米や油・塩の問屋の男衆・女衆の掛け声、そして子どもたちは元気よく走り回ってネ・

   一面桑園だった明治・大正・昭和の中ごろまでは春・夏・秋蚕で村の人口は蚕日雇いで3倍にも膨れたんだ・。みんな夜も寝ないで、蚕の世話をしたよ。家の中は蚕に占領されていたよ。蚕種屋、共同作業所、さらしや、機屋もあったさ。

   上分・下久下村・下分江川村はお祭りも盛んだった。土手の向こうから笛や太鼓を打ち鳴らしながら男たちがやってきた。上分には「白蛇様」下分では八幡様のお祭りが賑やかだでね。そうそう、夕暮れになると「おとかっぴ」-*狐火をよく見たものさ。


川風・川霧そして
封印された優しい昔風景

川を吹き渡る風、川霧・・・ここは初夏の早朝には深い川霧に包まれます。神秘の世界です。新川を訪れる人はこの隔絶された不思議な空間に魅せられます、江戸、明治・大正・昭和の長い歳月が封印されてそのままここにはあるのです。懐かしく優しい昔風景。今も残るくねくねした3間巾の本村通りの両脇には、屋敷跡の竹林の森が点在、元村民が今も耕す畑、荒川の向こうには遠くに富士山や秩父連山が幾重にみ墨絵のように重なります。

  廃村となって半世紀が過ぎました。市町村合併によって村の名前が消えたのではありません。村全体、住民が家屋敷とともに歴史の中から忽然と消えてしまったのです。最初は1軒去り、2軒去り、最後の数年で一挙に無人化してしまいました。村人は新川の家屋敷を解体し家財道具とも荷車や車に積んでここを去っていきました。川とともに生き、舟運・養蚕で栄えた村が、大水に追われるようにして300年の歴史の終えたのです。



戦後間もなく、すっかり人影がなくなったこの村に暮した人たちがいました。最後までふるさとを捨て切れなかった鵜使いの老人・長島さん(上分)、丸岡さん(下分)でした。大水で孤立し、舟で救助に来た消防団の人に長島老人は「水の具合をみているんだ」と屋根の上から大声でどなったという話が今も残っています。すべての人がいなくなったのは昭和47年頃といいます。



Copyright © 立正大学/地球環境科学部/環境システム学科/環境管理情報コース/後藤研究室 all rights reserved.
当ホームページは、平成18年度財団法人地域総合整備財団および熊谷市役所の補助により作成され、立正大学/地球環境科学部/後藤研究室および NPO法人GISパートナーシップによって運営されています。
当ホームページ内に掲載の写真・音声・CG及び記事の無断転載を禁じます。