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千年前ここは熊谷次郎直実の叔父・久下氏の領地で川はなく森や畑の間にわずかな家が点在していた。平良文と箕田源氏が一騎打ちしたり、少年直実がこの野を駆け巡り、武蔵武士が馬を走らせたこともあったにちがいない。徳川家康が江戸幕府を開いてから、伊奈氏3代がここに荒川を新しく開削して生まれたのが新川村(下久下村・江川村)である。ここから江戸に向けて舟運が起こり、秩父から切り出した木材を筏にして久下まで流し、この河原で筏舟にしたて木材を供給したり、忍藩の米を幕府に50石舟でおくり、江戸からは塩や油といった生活資材をこの地に運んだ。時代を経てこの河原のジャリを採掘して東京の近代化にも貢献した。そして養蚕時代を迎える。人々の暮らしを支え。お祭りも盛んだった。 時代の流れのままに姿を変えた新川村から村人が消えてまだ半世紀しかたっていない。
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