村人が去って半世紀、めぐる季節は変わることなくこの小さな村を訪れ木々を彩りつつ思い出を静かに風化させていきます、
荒川とともに刻んだ300年ちかい歴史の痕跡は石の鳥居や数箇所にまとめたれた墓地や地蔵からうかがうだけなのです。
そしてこの村に今、新しい風が吹き始めています。
幻の村祭り開催や、菜園村。子供遊びの森など放置され荒れ果てた竹林を間伐・整備して新しい憩いのスペースをボランティアですすめているのです。
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新川村を愛する」市民たちが竹林の森や畑を整備。
春夏秋にはここでイベントを開いています
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「新川菜園村」「子ども遊びの森」はピースふぁいぶるというグループのサークルとして立ち上がりました。
菜園村では12坪を一区画として希望者に貸して農業を体験してもらっています。現在21区画です。
「子ども遊びの森」では夏の行事でキャンプでツリーハウスオカリナコンサートや昔語りを行っています。森の初夏は筍がりも楽しいよ。


 千年前ここは熊谷次郎直実の叔父・久下氏の領地で川はなく森や畑の間にわずかな家が点在していた。平良文と箕田源氏が一騎打ちしたり、少年直実がこの野を駆け巡り、武蔵武士が馬を走らせたこともあったにちがいない。徳川家康が江戸幕府を開いてから、伊奈氏3代がここに荒川を新しく開削して生まれたのが新川村(下久下村・江川村)である。ここから江戸に向けて舟運が起こり、秩父から切り出した木材を筏にして久下まで流し、この河原で筏舟にしたて木材を供給したり、忍藩の米を幕府に50石舟でおくり、江戸からは塩や油といった生活資材をこの地に運んだ。時代を経てこの河原のジャリを採掘して東京の近代化にも貢献した。そして養蚕時代を迎える。人々の暮らしを支え。お祭りも盛んだった。

 時代の流れのままに姿を変えた新川村から村人が消えてまだ半世紀しかたっていない。 




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