上分の大嶋熊五郎さんに嫁入りした「せきさん」。熊五郎さんは筏のりの息子で昭和のはじめ熊五郎さんは住友銀行日本橋支店に勤務していた。せきさんとは東京で知り合い、同じ埼玉出身ということで親しくなり結婚。せきさんは20才、昭和3年頃の話である。家の間取りは8畳2間、6畳2間に離れは3.5畳ほどで、当時は駄菓子やだった。2階は3畳ほどで大水用の避難部屋だった。熊五郎さんの母が駄菓子屋をやり、熊五郎さんは行田の足袋の景気がよくなり住友銀行は熊谷本町の現在、アルザンの2階に支店のようなものをつくった。熊五郎さんは行田からの集金を集めて日本橋店に運ぶのが仕事だった。
その頃のせきさんの楽しみといえば下分の河川場まで行き帆掛け舟に乗せてもらうことだった。下流からゆらゆらと帆を張って上ってくる舟には1人から2人お客が乗っていた。船頭に茶菓子を差し入れ、少しお金を包んで30分から40分舟に乗せてもらった。家を出る時の名目は川に洗濯に行くといって出た。その頃は昭和の10年以前で舟運は廃れ筏もなく、帆掛け舟は観光の飾り物のようなものだった。
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